「最後に見たい映画は、何ですか?」
そう問われて、以前の私なら間違いなく、『レオン』と答えただろう。
救いようのない家族に育てられた少女が、アパートの隣に住む寡黙な殺し屋に恋する話。
家族愛なのか、恋愛なのか、区別もつかない少女が涙しながら別れを受け入れる哀しい物語が、どうしようもなく、私は好きだった。
言葉にできぬ不可解な感情を持って、相手を慈しみ、寄り添う2人を美しいと思った。
初めて『レオン』を見てから、十数年が経った今、私が最期に観る映画は何なのだろう。
感銘を受けた作品や情景描写が美しい作品、高校生の時に比べたら、本数は減ったものの、それなりに新しい出会いもあった。
けれど、「映画」というものに対する感覚や向き合い方が変わった気がする。
学生時代は、閉鎖的で統一的な学校というものに違和感を覚え、日常生活において、いつもどこなく居心地が悪い、と思っていた。
そして、暇さえあれば、「映画」の世界に齧り付いていた。
犯罪現場を目撃してしまった歌手が教会に逃げ込んだり、メガネをかけた登場人物たちが綺麗な砂浜で奇妙な体操をしたり、京都大学に必死の思いで入ったら、訳の分からないサークルに加入することになり、そこからまた奇妙な戦いに巻き込まれたり。
たくさんの世界があった。
主人公たちは、いつも困っていた。居心地が悪そうだった。そこから、変化していく環境のおかげで、晴れやかな笑顔になったり、死ぬことによって救われたり、私にとっては魅力的な世界ばかりだった。
今の私にとって、「映画」とは何だろうか。
どのような気持ちで向き合っているのだろうか。
娯楽、暇つぶし、食事のお供etc.
いろいろと思い浮かぶけれど、それでも思い浮かぶのは、「教訓」。
他者が作り出した不思議な世界に飛び込むこともできず、逃げ込むこともできないことを私は感覚だけでなく、きちんと理解してしまう年齢になってしまった。
でも、好きなものを嫌いにはなれない。
あの輝かしく、妖しく、儚い世界たちは、今でも私の胸に鮮明に刻まれているし、あの時受けた感銘も忘れられやしない。
ただ、いつの日だったか、逃避するのをやめようと思った。
普通の男の子がある日突然、魔法学校に入学したように、私にフクロウ便は来ないし、廃墟で偽札を作るたくさんの仲間たちもいないし、厳しくも権威のあるファッション誌編集長の下で働くこともない。
それでも、あの世界から学び取ることを選ぼうと思った。
きっと、この先に待ち受けるちょっとした壁を攀じ登れるように。
学生時代に逃げたものから、もう逃げなくて済むように。
そう思えるようになったのも、過去に見てきた多くの世界のおかげかもしれない。
このテーマに対する、私の答えは、
「何も見ない。」
最期だろうと、創られた世界に逃げ込むことなく、自分の人生を振り返りたい。
おそらく、それは今まで見てきたどの世界よりも、映画のように観える気がしているから。
魔法もロマンチックも何もなく、ただ普通の少女が人生を進んでいくだけの物語。
自分で振り返れば、きっとツッコミどころ満載だろう。