moji...

月に一度の文字並べ

無題

文章を書くのは好きだが、iPhoneで書くより、パソコンで、パソコンで書くより、手で書くのが好きだ。仕事柄、手で文字を書く機会は多いものの、長文を書くことは減ってしまった。

 

大学生アルバイトが、レポート作成に悩んでいた。「レポート」という単語を久しぶりに聞いたおかげで、長文を書きたくなった。しかし、在学中とは違い、テーマを自分で見つけないといけないのが、社会人の悩ましいところだ。

 

何について書こうか。

 

LINEニュースやTwitterを開くと、ウクライナとロシアの戦争に関する知らせばかりが舞い込んでくる。人が住んでいるであろう街が、どんどんと破壊されていく映像や軍服に身を包む、青年たちの写真。コロナウイルスが蔓延して、日々、恐々と過ごしていた最中、突如として行われる凄惨な事象。鬱屈とした毎日をさらに、鬱々とさせる。悲しいね。

 

私が好きな街も、戦争とは程遠い開発という名の波によって、姿を変えつつある。古き良き建物は、軒並み壊され、空っぽの新築ばかりになってしまった。上っ面だけを磨き、個性や文化はどこへやら、代官山や中目黒のような大衆的なお店が軒を連ねるようになった。悲しいね。

 

悲しさやしんどさを感じるだけ、まだマシなのかもしれない。毎日を淡々と過ごしている中、負の要素がそこかしこに潜んでいることが、時折、つらく感じる。何でだろうね。

 

ウクライナとロシアも、下北沢の駅開発も、コロナウイルスによる弊害も、私の生活も、早くみんな落ち着いてくれたらいいのに。

無題

写真を撮ることに、ひどく疲れてしまった。

正確に言うのであれば、撮影した写真を公表することに、疲れた。

 

自己表現とそんな大それたことをしているつもりはないが、

なんとなく自分の好きなものを、好きなように、貼付けているだけの行為。

そんな行為自体に、嫌気がさしてきた。

 

自分の周囲を見渡せば、クリエイティブでスキルのある人がたくさんいて、

インターネットの世界には、さらにスキルや知識を昇華させている人がいて、

ありとあらゆる作品に囲まれていることに気づく。

 

そんな撮り方もあるのか、写真を魅せる様々な手法、色鮮やかな文章。

それらに感銘を受け、自分なりの表現をしたところで、出来上がるのは、

何かに似た模造品ばかり。

そこには、創造性も、個性も、主張も、何も存在しない。

 

学習することを放棄した、自業自得の産物。

それらを眺めることに、ひどく疲弊している。

 

趣味とはいえ、何も創造できない私は、写真を撮るということが過ちか。

私がやりたいことは、一体何なのだろうか。

私は、一体、何者なのだろうか。

 

他者からの評価は不要だが、自分が満足できる、

もしくは公開するに値するモノを作れないのであれば、

いっそ、こんな無益な行動はやめるべきなのではないか。

 

ああ、何も考えずに写真を撮っていたころに戻りたい。

知ることは時に有益であり、有害だ。

私は自分の感情も思考も、何もかもを整理できずにいる。

 

無題

「おうち時間」なんて、体のいい現実逃避だ。

見えない恐怖と戦うのが億劫で、

人の欲望と恐怖が具現化した街に、

とにかく嫌気が差して、久々に自宅に引き籠る。

 

ああ、人は醜い。

 

抗体・検体・検査・症状。

普段、口に出さない言葉が世に出回っている。

 

大量の

食べ物を買うよりも、

煙草をたくさん買わないと。

肺炎が流行しているにも関わらず、喫煙は止められない。

 

暇を持て余した結果、

リビングでの喫煙を解禁してしまった。

ソファの上で体育座りをして、煙を眺める。

ずっと待ち望んでいた退屈が、急にやってきた。

今まで、やろうと思い立っていたことが、何一つできていない。

 

散歩にでも出掛けようかと思えば、大雨。

私の心は、いつでも簡単に折れてしまう。

無題

雨が、降る。

蝉が、鳴く。

夏が、来る。

 

冬の侘しさを紛らわすかのように、

夏は人と戯れる。

汗を掻き、痛みを欲しながら、

熱を帯びた道を歩く。

 

夏は、活気がある。

神輿、祭囃子、浴衣、花火。

 

すれ違う人の少し酸っぱい汗の匂い。

蒸したアスファルトの匂い。

不快なはずなのに、夏の訪れをどこかで喜んでいる。

 

1年前と似たようなことを繰り返しながら、私は今日も夏を待っている。

無題

「ごめんなさい。」

で、済むのならば、全てその一言で片付けたい。

 

殴りたいなら、殴ればいい。

傷付けたいなら、思う存分。

 

それで気が済むのならば、対話をするよりも、自分の本心を晒すよりも、なによりも気が楽なので、ぜひ。

 

理解が欲しいわけではなく、受容を求めているわけではなく、ただ、そういう人間がいたことだけを、頭の片隅に留めておいてくれたら、と思う。

 

しかし、それすらも烏滸がましい願望だということを分かっているつもりなので、何も言わず、「一般的な人」を精一杯やってみたつもりなのだけれど、仕事と違ってやはりボロが出た、という印象。

 

知らぬ間に蓄積していた疲労と、見て見ぬ振りをし続けた好意が重くのしかかった結果。

 

麻痺した感覚、機能を忘れた思考回路、ここ数ヶ月の自分に苛立ちが募るばかり。

 

誰かを傷つける事は、あまり好きではない。

 

だからこそ、他人と距離を置いて、化けの皮を被っていたはずなのに。

 

知らず知らずに剥がされていた化けの皮は、醜く、腐臭を放って、足元に落ちていた。

無題

暴力を振るわれても、恐怖がない。

恐怖に陥るのは、虚無を感じた時だけ。

 

どんなに殴られようとも、

髪を掴まれようとも、

罵詈雑言を浴びせられようとも、

不感症に罹った私には無意味。

 

無を感じ、虚しい気持ちになった時に、

初めて恐怖を感じる。

 

じわじわと痛みを感じ始めた身体で、

散乱した服を眺める。

 

懐かしい、と思った。

 

憎悪と痛みだけが、残った。

 

きっと、一生続くのだろう。

 

私の感情や思考に関係なく、続くもの。

ただ、その事に虚しさを感じた。

無題

何かに依存する事が苦手だ。

依存は、信用から生まれる。

信用は、あっという間に崩れ落ちる。

 

何もかもを捨てて、

モノや人や事象に寄りかかる事。

 

唯一の依存対象が、憎悪だとしたら、

憎悪を信用していることになるのだろうか。

 

憎悪することも、嫌悪することにも疲れてしまった身体は、何を頼りに生きればいいのだろうか。

 

何かに期待することを諦めた。

誰かに期待することを諦めた。

 

だから、期待しないで欲しい。

 

期待など、不毛だ。

 

しかし、少なからず傷付いている精神は、きっと何かに期待を寄せていたのだろう。

 

何に裏切られたのかも分からず、何を考えれば良いかも分からない。

 

ただ、絶えず、呼吸だけが続いている。