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月に一度の文字並べ

わからないこと

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漠然としたテーマを投げかけられて、

はて、と困り果てたものの、

大きな括りのテーマは、

自由度が高いということに気付き、

書きやすいのかもしれない、

と思うようになった。

 

わからないこと

多くの人がわからないことを幾つも抱えて、

歩いているのだろうとは思うけれど、

私の中でわからないことの代表は、

「恋愛感情」及び「恋愛における悩み」。

 

恋愛感情がないからわからないのか、

それとも、共感できないからわからないのか。

 

つい先日も、恋人と別れたばかりの子から、

愚痴のような相談のような話をされた。

「好きだからこそ、好きという言葉が欲しい」

「好きだからこそ、同じものを共有したい」

この飾り言葉のような「好きだからこそ」が、

私にとってひどく難しく、わからない。

 

好きという感情も共感しづらいのだが、

好きだからと言って、

他人という枠から抜けることはない。

あくまで、他人。他の人。自分以外の人。

理解することもできなければ、

制限できるわけもない。

 

言葉にせずとも行動で示しているのでは、

と彼に投げかけたところ、

「言葉にすることに安心がある!」

と強く言い返されてしまった。

 

言葉とは空虚なもので、

発せられれば真実かと言えば、そうでもない。

嘘も方便という諺もあるくらいなのだから。

言葉にしたから安心するというのであれば、

その安心感は空虚で簡素で、

安っぽいようにも思えてしまう。

そう思うのは、不思議なことなのだろうか。

 

十数年、付かず離れずの、

不思議な関係の友人がいる。

友人と呼べるかどうかも定かではないのだが。

時を経るごとに、取り繕うことをやめ、

自然な状態で居ることができる。

彼は私のことが「好き」らしいが、

私は居心地の良い人、としか返さない。

それが彼にとっての安心感らしい。

それで良いのではないのだろうか。

それでは駄目なのだろうか。

 

あくまで他人。他の人。自分以外の人。

何かを強要する関係になれば、

それは恋愛ではなく、主従なのでは。

わからない。

 

私には居心地の良い友人が数人ばかし居る。

それが恋愛関係でなくとも、

満たされる気持ちはある。

大勢の人とかけ離れた感覚なのだろうが、

私に恋愛がわからないのと同様、

多くの人が私のことをわからないはず。

 

わからないこと。

人を好きになる気持ち。

人を恋しいと思う気持ち。

思いが伝わらず、もどかしいと思う気持ち。

私がいつもわからず苦しむのは、

他人の感情や思考に関することなのだと思う。

 

わからないからこそ、他人との対話は面白い。

わからないことが、

愉しく思えるようになったのは、

きっと私と喫茶店に行ってくれる、

数少ない友人たちのおかげ。

 

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