チバユウスケさんの訃報を受け、
どうにかこうにか気持ちを消化するためにも、
私の中の思いを書き散らかそうと思う。
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思えば、初めてチバユウスケの歌声を聴いたのは、あの有名なミュージックステーションだった。
細身のスーツに身を包んだ、黒く訝しげな4人組が、階段を降りてくるシーン。
私は当時t.A.t.uが好きで、彼女らが日本のテレビに出演すると聞き、胸を躍らせていた。
大人になり、彼女らの行動がマネジメントによるものだということを知ったのだけれど、その当時の私には「なぜ出てくれないの?」「日本が嫌いなのだろうか」と、ただひたすらに悲しい気持ちになった。
そんな悲しみを掻き消すような荒いがなり声と、耳を突き抜けるようなギターの音、そして、臓物が鼓動するようなバスドラムを初めて聴いた。
ロックというジャンルも、バンドという存在も、何もかもを知らなかった小学生の私に突然の出会い。
「かっこいい」とは思えず、ただ、ただ、不思議な物を目撃した、という印象だった。
そんな衝撃から奇跡の再会を遂げるのは、十数年経ち、大学生になった頃。
様々な音楽遍歴を辿り、ロックバンド好きになった私は、念願叶って軽音サークルへと入部した。
上級生から、毎日のように、品定めの如く音楽遍歴を聞かれていたあの頃。
「ミッシェルガンエレファント、通ってないの?」
当時は、海外のバンドかと何度も聞き返したりしていたが、やがて、ミュージックステーションで、2曲演奏を成し遂げた伝説のバンドだと知った。
そこから、ただひたすらにミッシェルガンエレファントの曲を聴き漁る日々。
あの荒いがなり声が、痛切な思いの丈のように聴こえたし、突き刺さるギター音は、ほんの少しの切なさを含んでいるように思えた。
そして、それらをメロディに乗せて支えるベースに酔いしれ、安定したパワフルなドラムが腹の底で波打つのが心地よいと思えた。
その後、親しかった先輩に勧められ、The Birthdayへと流れ着いた。
「なぜか今日は」
初めて聴いた日の心地よさと衝撃は、今でも忘れることができない。
チバユウスケの掠れた声は、歳を取るごとに、深みが増し、刹那的な言葉に聞こえる。
その後も、たくさんの名曲を生み出し、たくさんの人々を魅了したであろう、偉大な人。
あのがなり声は、なぜか今日も、何者にもなれない自分に寄り添っているように聴こえる。
荒々しく、鋭利な声が、今でも、頭に響いている。
なぜか今日は。
なんか今日は。
きっと今日は。
あの声に、あの歌に、あの詞に、
救われたのはきっと私だけではない。
安らかに眠っているであろう彼の歌が、これからも私を救ってくれるに違いない。
ほんの少しの淋しさを含んで。